チョコレートの秘密
「死ぬ前に最後に食べたいものは何ですか?」という質問がありますよね。みなさんは何を食べますか? お寿司とか、フレンチとか、おいしいお蕎麦とか、母親がつくってくれたカレー・ライスとか、白いご飯にお味噌汁とか、色々あるとは思うんです。
私も飲食業の端っこの方にいるわけですから、食べるものにはこう見えて色々とこだわったりしているわけです。高いフレンチレストランでおいしいブルゴーニュを飲みたいなあとか、(妻が焼き肉が嫌いなため、めったに行けないので)高級焼肉店とかに行きたいなあとか、おいしいお刺身を買ってきて自宅で手巻き寿司をつくり、ミネラルのしっかりしたソーヴィニヨン・ブランとかあわせたいなあとか、友人のお店をハシゴして朝まで飲み明かそうかなあとか、色んな状況を思いつくわけです。
でも、本当に自分に正直になれば、最後に食べたいのはチョコレートです。今想像しただけでもクラクラしてきました。ほら、それまで色んなおいしい食べ物の状況を書いてきたのに全くクラクラしなかったのに、チョコレートのことを思うとクラクラするんですよね。
どうしてチョコレートだけが私をクラクラさせるのか?
それはチョコレートは恋に似ているからです。
そう思いませんか?
ずっとチョコレートだけを食べ続けて暮らしたいと思ったことはありませんか? 出来ることならそういう生活をしたいのですが、そんなことをするとダメな人間になってしまうから、お野菜を食べたりお魚を食べたりしてチョコレートは少しだけと我慢しますよね。
レストランで長いコース料理を食べた最後に出てくるガトー・ショコラも、「実はこの瞬間のためだけにずっと自分は我慢してきたのでは」と思ったりすることもあります。
おぼれていたいけど、もう大人なんだからおぼれられない、それがチョコレートなんですよね。
で、これはチョコレートには何か秘密があると確信した私はウイキペディアとか色々インターネットを駆使してチョコレートに関して調べてみました。するとこんなお話に出会えたんです。
場所はハプスブルク家支配下時代のトランシルヴァニア。トルコの勢力からやっと離れた時代のことです。
その時期、ハプスブルク家とも関係の深いアドリアーナというお姫様がいました。彼女はロマ人と呼ばれるジプシーの奏でる音楽を保護し、それを採譜させ後のバルトークやコダーイにも影響を与えた女性としてもルーマニアでは有名なのだそうですが、それよりももっと彼女を世界史的に有名にさせるある病気が彼女にはありました。それは大の恋愛狂だったのです。
モルダヴィア国の王子との熱い恋愛劇を見せたかと思うと、ロシアの詩人、オスマン帝国からの逃亡者、オーストリアのピアニストと3ヶ月ごとに恋の相手をかえたそうです。
これに不安をおぼえた国王はトランシルヴァニアの森の奥に住む魔法使い(トランシルヴァニアの魔法使いといえばもう世界的に有名でした)を呼ぶことにしました。しかし世界的に有名だったはずの魔法使いもアドリアーナにとってみればしょせん恋愛経験の少ないただの男の子でした。あっという間に魔法使いもアドリアーナに恋をしてしまい、毎日片思いのため息をつくしまつでした。
しかし、さすがに世界的に有名だった魔法使いです。彼は自分の恋を成就させるためある計画をたてました。自分がカカオを使ったお菓子になり、そこにアドリアーナを閉じ込めることにしたのです。
もちろん計画は実行に移されました。チョコレートの誕生です。
そういうわけでチョコレートには恋の味がするんですね。
ヘッドホン美女部に捧げます
渋谷の街を一人で口笛を吹きながら歩いていると白黒写真時代のまだかっこいい頃のアントニオ・カルロス・ジョビンが近づいてきて、僕より少し低いメロディで口笛を吹き始めた。
僕が驚いているとアントニオ・カルロス・ジョビンがヘッドホンをつけたショートカットの可愛い女の子を連れてきて、彼女に少し高いメロディを教え始めた。彼女は始めのうちはちょっととまどっていたものの、何度か練習するとそのメロディを完璧にマスターして僕とアントニオ・カルロス・ジョビンの口笛演奏にそっと加わってきた。
彼女の口笛が加わると僕たち3人の身体はふわりと渋谷の空に浮かび上がった。アントニオ・カルロス・ジョビンは僕の方を見ると軽くウインクをして「これがハーモニーだ」と言った。その日僕はハーモニーは空を飛べるということを知った。
教えている相手はヘッドホンの女の子じゃなくてジェリー・マリガンだけど、まあこんな感じだったと思ってください。
→http://www.youtube.com/watch?v=ElyZpwVC_IE
マンシーニの恋
ヘンリー・マンシーニがオードリー・ヘップバーンのことをずっと片思いで、オードリーの死後、後追い自殺をしたという話はご存じですか? 公的にはマンシーニは病死ということになっていますが、実は誰もが知っている話だそうです。
マンシーニがオードリーのために「ムーン・リヴァー」を書いたのが1961年。オードリーが死んだのが1993年でマンシーニが死んだのが1994年です。なんとマンシーニ、33年間もオードリーに片思いなんです。オードリーはその間に2回結婚、最後も結婚ではなかったものの男性と同棲状態のまま亡くなります。その何度もの恋愛劇をオードリーが繰り返している間、マンシーニはオードリーの姿を眺めながらずっと片思いだったわけです。
気になるのは、マンシーニはオードリーに自分の恋心を伝えたのでしょうか。たぶん伝えたはずですよね。それを聞いてオードリーはなんてリアクションしたのでしょうか。「あらヘンリー、どうもありがとう」くらいな感じがします。ですよね。どの時期でもオードリーは世界最高の女優ですから、そんな言葉は毎日のように聞いていたはずです。マンシーニはオードリーを食事とかに誘ったりしたのでしょうか。したはずですよね。「今度の映画の曲のことでちょっと君とゆっくり話したい」とかなんとか理由を付けてオードリーを食事に誘ったはずです。オードリーはマンシーニの切ない恋心に気づいていたでしょうか。これは想像ですけど、たぶん気づいていたはずですよね。だってマンシーニの残された映像を見る限り、どう見てもそんなに恋愛上手だったようには思えません。きっと周りのスタッフとかも「あらあら、もうマンシーニさん、オードリーにベタ惚れでいっぱいいっぱいなんだよな。無理だって。女優に惚れてどうすんだよ」なんて陰でいわれていたように思います。
ご存じのようにオードリーって最後は結構おばあちゃんになっちゃいますよね。でも、そんなオードリーのこともマンシーニは恋していたんでしょうね。だってその後、後追い自殺をするんですから。
マンシーニはもちろん僕たちが住むこの世界に多くの美しい楽曲群を残しました。これらの多くの曲が今でも美しいのはやっぱりマンシーニがオードリーを喜ばすためだけに曲を書いていたからではないでしょうか。
「ねえ、オードリー、今度の映画の君のためにすごく綺麗でロマンティックな曲が書けたんだ。ちょっと君に聞いてほしいから今度の火曜日の夜にでも会えないかな?」
「ごめんね、ヘンリー。火曜日はちょっと忙しいの」
「そう。じゃあ水曜日はどうかなあ? ほんとまるで君みたいに綺麗な曲なんだ」
「水曜日もちょっと… ごめんね、ヘンリー」
「いや、いつだっていいんだ。君があいている日で。別に夜じゃなくてもいいし。昼、一時間くらいあいている時間があれば君にこの曲を聞かせられると思うんだ」
「そう。あのー、ヘンリー、私、今度結婚するの。あなた新聞は読まないの?」
「もちろん知ってるよ。おめでとう、オードリー。君のそんな幸せを祝いたくてこの曲を作ったんだ」
「ごめんね、ヘンリー」
「何を言ってるんだ、オードリー。君が幸せそうなのが僕には一番なんだ。ちょっと歌ってみるよ」
http://www.youtube.com/watch?v=UcXiJibBloU
音楽の魔法
今、「スタン・ゲッツ/チャーリー・バード」と「アストラッド・ジルベルト/いそしぎ」のライナー・ノーツを書いています。
普通に考えてこれらのアルバムは「評論家からは音楽的評価が低い」とされています。でもちょっと待って下さい。あなたは本当にこの2枚のアルバムと向かい合ったことはありますか?
1962年と1964年というボサノヴァがアメリカのジャズに溶けこんでいく瞬間。ヴァーヴという素晴らしくバランスの良いレーベルで、当時の世界最高のミュージシャン達が「僕たちが今初めて取り組んでいる新しいボサノヴァという音楽はこんな風な演奏で良いんだろうか?」と様々に試行錯誤しながら、一つ一つ音を確かめながら演奏しています。そして真摯に耳をすませば彼らの音の試行錯誤は2011年に住んでいるこちら側の世界の私たちの心をザワザワと震わせます。
そして確実に言えることは1960年代当時に演奏している彼らは「音楽の魔法」を信じていて、21世紀になってもその魔法が消えていないことを信じています。
おっと、「音楽の魔法」という言葉について「何それ?」というあなたに。
音楽は魔法です。誰かを失ってとても悲しいとき、ある種の音楽は私たちを助けてくれます。ひとりぼっちで何も信じられなくなったとき、音楽は「それも良いんじゃない」とやさしく笑いかけてくれます。誰かに恋をしたとき、音楽はそっとあなたに近づいてやさしく背中を押してくれます。それが「音楽の魔法」です。
私はアストラッド・ジルベルトの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を聴くと今すぐあなたと一緒に月へと旅立つことが出来ます。月には静かな湖があり、私はあなたとシャンパーニュのグラスをかたむけます。月からは青い地球が見えてあなたはその美しさにため息をつきます。
ゲッツとチャーリー・バードの重苦しい「バイーア」を聴くと、私たちの想像の中にしか存在しない、あの熱帯のバイーアをあなたと歩くことが出来ます。木には極彩色のオウムがとまり、あなたはそれを見て驚きます。そしてオウムは未来の言葉で私たちに話しかけます。
本来、音楽はそういう魔法を持っていたはずです。
そして1962年と、1964年のアルバムに参加したミュージシャンやヴァーヴというレーベルのスタッフ達もその魔法を信じています。
私たちは50年後の2061年のリスナーにどんな音楽の魔法を届けることが出来るのでしょうか。
シネマ・メランコリアのお知らせ
bar bossa presents "シネマ・メランコリア"
『みじかい夜』上映会
映画監督、甲斐田祐輔が、中島ノブユキ『メランコリア』制作現場を追ったドキュメンタリー作品を発表。自宅での作曲の様子や、アイディアが結実していく過程、スタジオでのレコーディング風景が収められた貴重な映像です。
上映後には、中島ノブユキ本人を講師に迎え、『メランコリア』が完成するまでの過程や制作秘話などを語って頂きます。
さらも、皆様から自由な質問も受け付けますので、色々と考えて来て下さい。
2010年11月3日(祝・文化の日)@ bar bossa
open : 15:00〜
close : 18:00頃
entrance : ¥2500 (with 1drink)
《プログラム 1》
甲斐田祐輔監督作品 『みじかい夜』上映
《プログラム 2》
トークショー
"中島ノブユキ『メランコリア』が出来るまで。"
講師 : 中島ノブユキ 聞き手/進行 : 林伸次 (bar bossa)
甲斐田祐輔プロフィール
1971年生まれ。
『TWO DEATHS THREE BIRTHS』(99)、 『coming and going』(99)、『RAFT』(00)を自主制作した後、2003年には『すべては夜から生まれる』を監督する。また2008年『砂の影』がロッテルダム、ブエノスアイレス映画祭等に正式招待、日本国内外で上映される。また、PVやdvdの演出やNHKの構成等も手掛けている。
甲斐田祐輔監督からのコメント
中島ノブユキさんを撮影し始めてからもう何年かになります。
常々思っていた事、つまり撮影をはじめた動機でもあるのですが、
中島さんの頭の中は一体どうなってるのかなあと。
世の中との交信の仕方、一見つながらないモノとのつながり方、あらゆる事が大胆かつユニーク。
そしてそのユニークさこそが、いくつもの可能性を切り開くと僕は思っている。
中島さんの声が聞こえてきそうだ。
「そんなにあつくならないで大丈夫よぉ」
それでは、皆さん中島ワールドへようこそ、ご一緒に。
【予告編】中島ノブユキ 『メランコリア』(Directed by Yusuke Kaida/甲斐田祐輔)
http://www.youtube.com/watch?v=X_y6MJc3j4Q
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